秋雨/春風
そして、その別れは一時のものではなく、永遠である事が余計に胸を切なくさせる・・
生まれて初めて近しい人の最期の姿に対面するという経験をしたのは 、ボスニアに来て5年目の晩秋の事だった。そして、つい先日、オットの知人が最期まで周囲に自らの病を告白せぬままこの世を去った。
そして秋雨の日には、昨秋に訪れた知人の死を思い出す。
突然の死を告げる電話が鳴ったのは、秋雨が激しく窓ガラスを叩く夜だった。
そして今、秋雨の音をかすかに聞きながら思い返すのは、秋の冷たい雨ではなく暖かな春風吹く過去の1日である。
それはある晴れた春の昼下がり、かなり歳を召しているにも関わらず元気よく自転車のペダルを漕いでやってきたその人は自宅に電話を掛ける為に我が家に立ち寄った。
どうやら役所に提出する書類に不備があったらしく、不足分の書類が自宅のどこにあるのか電話で奥さんに確認をしたかったらしい。
しかし、奥さんに書類が保管されている場所を説明しても奥さん側には上手く伝わらないらしく、段々と苛立ってくる声が庭にいた私の耳まで届いた。
いつもは強気な奥さんの横でいつも人がよさそうな顔で微笑んでいるその人も遂に業を煮やしたらしく、飛び出す、というよりまさに「ほとばしる」という表現がピッタリな勢いで
「○○××△△▲▲×××××××□□■■×××××!!!!!!!」
と悪態のオンパレードが始まった。
余りの勢いに驚く、というより、あの温和な人から飛び出した予想外の語彙に不謹慎にもついプッと噴出してしまったが、受話器を置いて家から出てきたその人の前では何気ない風を装う私であった。
この国では老若男女関わらず悪態をつくのは日常茶飯事ではあるとはいえ、自分の悪態の連発が外にも筒抜けだった事は自覚していたのだろう。
電話利用のお礼を告げるその人の顔が、なんとも恥ずかしそうな、はにかんだ表情だったのがなんとも印象的だった。
その人は春風が吹く中を再び軽やかにペダルを踏み、自宅に向かって走り去っていった。
到って穏やかなその人の口から悪態を耳にした事は、後にも先にも記憶が無い。
そして、別れの予感もなく、本当に突然逝ってしまって1年が経とうとしている。
それ以来、秋雨の降る夜には、爽やかにペダルを漕いで立ち去る背中に降り注いでいた春の陽ざしと、温和な人柄を表すような春風の暖かさが私の心に甦るのである。


そうですね。
秋になると、私も幼い時のことなどいろいろなことを思い出します。
空気が澄んできて、例えば金木犀や通りに流れてくる食事の匂いなどが鮮明に嗅覚を刺激してくることと関係しているような気がします(私の場合)。不思議なのは、わくわくするような楽しいことではなく胸がキュッとくるような記憶ばかりがよみがえって来ることです。
今月、祖母が97歳でなくなりました。
正確には97歳の誕生日を迎える僅か5時間前に息を引き取ったのですが、この世に生まれたのと全く同じ季節に逝ったのは偶然とはいえ祖母らしい気がしています。大きな木立にぐるりと取り囲まれた墓地では枯葉がぱらぱらと音を立てて舞い落ちてきて印象的でした。来年からはこの季節になるとMic'oさんが知人を思い出されるように私も祖母を思いだすんじゃないかと思います。なんだか切ない季節ですねぇ・・・。
| デベラ | 2008/11/21 10:31 | URL | ≫ EDIT